本記事を書いているのは令和4年4月。
ロシアのウクライナ侵攻、長引くコロナ禍、記録的な円安・物価上昇。
先行き不透明な状況が続いており、明るい話題が減ってきています。
ただ、そんな中、私個人としては、嬉しいことがありました。
本ブログ「大阪ノスタルジア」に、温かいコメントをいただけるようになったのです。
局所的なネタを扱ってますので、訪問者も限られていると思ってました。
ただ、少数でも、思い出や記憶を共有できる仲間がいると分かって、大変喜んでおります。
お忙しい中、コメントをくれた方々におきましては、本当に感謝しかありません。ありがとうございます。
本ブログは、私の記憶・経験・訪問などを元に書いており、特に深い調査しているわけではありませんので、皆様に教えてもらうこと、記憶に頼ることも多いと思います。
少しでも古き良き大阪の記憶を残しておきたいと思っておりますので、引き続き、よろしくお願い申し上げます。
そんなわけで、今回のネタは、私の原点に立ち返り、栂・美木多駅の話題をしたいと思います。
栂・美木多駅について
令和4年4月時点において、私は49歳です。
20歳頃までの幼少期・少年期は、大阪府堺市の泉北ニュータウンに住んでいました。
最寄りの駅でいえば、栂・美木多駅になります。
当時は、隣の泉ヶ丘駅、光明池駅のほうが商業施設も大きく、賑わってました。(和泉中央駅はありませんでした。)
現在、私は泉北ニュータウンには住んでおりませんが、今でも、私の原点は泉北ニュータウンにあると思っています。
このため、仕事に疲れたときなどは、車で泉北ニュータウンに立ち寄ります。
思い出の場所と、昔の楽しかった記憶をリンクさせることで、なんとなく元気がでるような気がするのです。
その思い出の場所の筆頭といえば、やはり栂・美木多駅となります。
この栂・美木多駅に関しては、今までいくつか記事を書かせていただきました。
大阪府堺市、泉北ニュータウンの中心部を走る鉄道が泉北高速鉄道です。 今回、紹介させていただく「栂・美木多駅」もその中のひとつの駅になります。 私が本記事を書いている2019年1月時点において、栂・美木多駅には、駅前に商業 …
別ブログですが、以前、私は次の記事を書きました。 参考:私の故郷、泉北ニュータウン、栂・美木多駅の現在… 昭和後期、泉北ニュータウンの一角として団塊ジュニア世代の子供時代を支えた栂・美木多駅。 そんな栂・美木多駅ですが、 …
今回は、その続きです。
栂・美木多駅の南側には、現在、トナリエ栂・美木多という商業施設やマンションなどがあります。
昔は、ダイエー栂・美木多店、サンクール栂という専門店街、噴水広場があったところです。
噴水広場前には、バスターミナルがありましたが、交番とともに、これは今も健在です。
昔を知っている人であれば、全くの別の駅のような印象を受けます。
高齢者向けの医療クリニックなども多く、少子高齢化に舵をきったような街づくりだと感じました。
ただ、この栂・美木多駅…
昔からそうでしたが、送り迎えなどをするときに、車を停車できるスペースがないんですよね。
駐車場もあることはありますが、駅からは少し歩きますし。
そんな中、次のような動きがあることがわかりました。
栂・美木多駅前広場の全面リニューアル
先ほど述べた、トナリエ栂・美木多や、バスターミナルは、駅の南側の話です。
では、駅の北側はどうなっているのでしょう。
北側や南側といってもわかりにくいですよね。
南側が、原山台、庭代台、御池台。
北側が、桃山台、区役所。
こういったほうがピンとくるでしょうか。
その北側(桃山台側)なんですが、令和4年4月時点で、大規模工事が行われています。
一体、何が行われているのでしょう。
実は、駅前広場がリニューアルするようなのです。
現在の基礎工事を終えたのち、駅前広場を作っていくとのこと。
全体の完成は、2024年3月頃だそうです。
ここでは、広場の整備とともに、先ほど述べた問題点
「マイカーでの送迎スペースの確保」
などが実現するとのこと。
歩道の拡充やバリアフリーなど高齢者にとっても使いやすいように改善されていくようです。
実際に見に行ってきました!
早速、私は現場を見に行ってきました。
区役所の前にあったバスターミナルと駐輪場。
このうち、地面が赤レンガっぽい駐輪場が半分ほど壊されていました。
赤レンガの駐輪場は、私もよく使っていましたので、なんとも感慨深いです。
ただ、昔のようなニュータウンではなく、高齢者の街に変化している以上、使いやすくしていくのは必然かと。
私の思い出の地である栂・美木多駅。
住民の年齢構成は変わってきたとはいいえ、いい街であることに変わりはありません。
いつまでも、住み心地の良い栂・美木多であってほしいと願っています。
かずきびさん、こんばんわ。
栂・美木多駅ネタ、ありがとうございます。
現地まで確認に行かれているのは、すごいですね。お疲れ様です。
確かに、駅前にロータリーはありましたが、日中車での送迎には不向きな造りになってましたね。
バスが停まらないエリアに取り敢えず停車して、家族が現れたらバス乗り場でサッとピックアップする。バスの迷惑にならないような行動をしている人が大半だった様な…
私は駅の南側に住んでいましたので、北側はあまり利用することはありませんでしたが、遊歩道の所々に赤レンガがありましたね。
出張所(現在の区役所)が出来てから、少しイメージが変わりましたが、栂・美木多は大きな商業施設がなく、のどかという言葉がピッタリなところだったと思っています。
思い出の中にある風景とは既にずいぶん違っているのでしょうが、かつてあった物がなくなるのは寂しいですね。
前回コメントをさせていただいてから、栂・美木多を検索してみました。子供の頃よく利用していた庭代台のショッピングセンターにあったライフが閉店していたり、高校までの通学時間帯のあり得ない乗車率だった泉北高速鉄道の乗客数が減っていたり、街全体が寂しくなってるんだなぁと思ってしまいました。
お忙しいでしょうが、また懐かしく楽しい記事を楽しみにしています。
ふぃさん、こんにちは。
コメントありがとうございます!
泉北ニュータウンに行くと、気持ちがリフレッシュするんですよね。
栂・美木多駅も再開発中なんですが、隣の泉ヶ丘駅もリニューアル中でした。
駅前のロッテリアや噴水広場まわりのお店はなくなっていました。
全くちがう街への変貌を遂げようとしています。
いいことなのかもしれませんが、ふぃさんのおっしゃる通り、少し寂しい気持ちにもなります。
泉北高速も明らかに人が減ってますね…。
庭代台ライフをはじめ、桃山台や原山台などにひとつずつ存在していた近隣センターやマーケットは本当に寂しい状況になってます。
昔は団塊ジュニア世代の子供たちであふれていたのに、現在はシャッターだらけ…。
あの頃、お店をしていたおじさんやおばさんは元気なのかな…。