泉北ニュータウンから姿を消した泉ヶ丘プール、そして…

この記事を書いているのは令和2年8月。

現在も猛威を奮っている新型コロナウイルスにより、志村けんさん、岡江久美子さんが他界されたのは記憶に新しいところです。

昭和の大スター、渡哲也さんも他界されました。

さらに、地球温暖化も急激に加速し、線状降水帯による豪雨台風熱中症などが、各地に異常な事態を巻き起こしています。

古き良き昭和時代が、どんどん遠ざかっていく印象です。

そんな中、大阪ローカルの話題ではありますが、今回は、昭和時代を偲ぶネタを紹介したいと思います。

衰退する泉北ニュータウン

私は現在、大阪北摂の山奥に住んでいますが、出身は大阪府堺市、泉北ニュータウンです。

このため、泉北ニュータウンには人一倍、愛着をもっています。

本ブログでも、いくつも記事を書きました。

どの記事もすべて、

”あの頃(昔)は賑やかでよかったなぁ”

という論調になっています。

それだけ、今後の泉北ニュータウンには思い入れがあり、期待もしているのでしょう。

そんな中、今回は、またしても、昭和泉北のひとつの象徴が消えたネタを紹介したいと思います。

お疲れ様!泉ヶ丘プール

泉北ニュータウンっ子で、プールと言えば、誰もが思い浮かべるのは

”泉ヶ丘(いずみがおか)プール”

だと思います。

泉ヶ丘プールは、1972年、泉北ニュータウンとほぼ同時期に開業した、昭和チックな屋外型プールでした。

メインとなっていたリバープールや、ちびっこ用の噴水プール、少し深めの50mプールなどがありました。

ホットドックやジュースなどの売店もあったかなぁ…。

泉ヶ丘から歩いて10分ほどの場所に存在していました。

私が子供の頃は、ものすごい数の子供が泉ヶ丘プールに遊びに来ていました。

毎シーズン、10万人以上の来場者があった超人気施設だったようです。

しかし、この泉ヶ丘プールも、

・少子高齢化
・地域過疎化
・老朽化

という時代の流れには逆えず、2019年夏、惜しまれながら、48年間の営業を終了することになりました。

本当に、お疲れ様としか言いようがないです。

私も子供の頃は、よくお世話になりました。

しかし、大人になってからは、泉ヶ丘プールをほとんど利用していなかったので、少し後悔しています。

プールの跡地には、近畿大学医学部および附属病院ができる予定になっています。

生まれ変わる泉ヶ丘プール

実は、この泉ヶ丘プール。

閉園ではなく、移転するとのことでした。

しかも、行先は、同じ泉北ニュータウンの隣の駅「栂・美木多駅」にある原山公園

その名は

”原山公園プール”

だそうです。

・大規模なウォータースライダー
・屋内プール
・お洒落なカフェ

など、現代風のお洒落な施設に生まれ変わるようです。

原山公園も広いだけで、暗かったイメージがあるので、再開発の一貫だったんでしょうね…。

この原山公園プール、実は、2020年7月にオープンする予定でした。

しかし、これまた新型コロナウイルスの影響により、目玉であった屋外施設のオープンが見送られました。

屋内施設だけ、9月にオープンするとかなんとか。

令和の泉北ニュータウンの子供たちにとって、原山公園プールは、夢のある施設となってほしいです。

そして、我々、昭和世代からすると、泉ヶ丘プールのことも忘れることなく、語り継がれていってほしいと思います。