大阪府堺市の代表的な駅といえば、南海高野線の堺東駅になります。
なんば駅まで約15分。
市役所や高島屋をはじめ、銀行、飲食店、商店街が立ち並ぶ、まさに大阪の中核都市のひとつでした。
かつて、そんな堺東駅の少し南側に「ジョルノビル」と呼ばれる8階建ての巨大なビルがありました。
現在の市役所のビルと並んで、ジョルノビルは堺東駅の象徴でもありました。
私も学生時代、このジョルノビルにはとてもお世話になり、学生たちで賑わっていました。
しかし、2019年となった現在、ジョルノビルは、もうありません…。
ジョルノビルとは?
ジョルノビルは、1981年に「ジョルノ専門店街」として、開業しました。
南海高野線堺東駅と高架横断橋で結ばれており、堺東駅の象徴となっていました。
1990年頃、私は堺東駅の近くの高校に通学していました。
このため、このジョルノ専門店街をよく利用していました。
解体される直前のジョルノビルを知る人からは考えられないほど、当時のジョルノ専門店街は賑わいを見せていました。
夕方になると、ジョルノ専門店街は、学生で溢れかえっていました。
特に
「ジョル8(ハチ)」
と呼ばれた8階のフードコートは、当時のダイエーが主導しており、すべて100円で、ラーメンやカレーを食べることができたので、お金のない学生達には大人気でした。
バブル時代とはいえ、100円均一ショップの先駆けと言えたのかもしれません。
8階には、文房具や書店もあったので、学生には好都合でした。
当時は今のように携帯電話もなかったので、思い出としての写真がありません。
ただ、私の記憶の中では、あの人混みで賑わっていた華やかなジョル8のイメージが深く刻み込まれているのです。
ジョルノビルの末期
そんな賑わいを見せていたジョルノ専門店街にも転機が訪れました。
2001年、ジョルノ専門店街の中核テナントとなっていたダイエーが撤退することになったのです。
と、同時に、私の知っているジョル8も姿を消しました。
2002年以降、衣料品店舗や書店、玩具店、ハローワークなど、さまざまな店舗がテナントとして奮闘していました。
しかし、バブル崩壊とともに、売上は落ち、閉店が相次ぎました。
このため、ジョルノビルの解体直前には、ほとんどのお店でシャッターが閉まっていました。
建物の老朽化も進んでいたため、まさに「廃墟ビル」と化していました。
2000年代のジョルノビルを知る人は、1990年頃のあの賑わいは想像もつかないのではないかと思います。
ジョルノビルの跡地と今後
ジョルノビルの跡地にできたビルは、現在工事中です。
跡地には、マンションと商業施設のミックスされた施設ができるようです。
市役所や商店街、堺東駅も近く、なんば駅までも一本でアクセスできることから、結構便利な場所です。
入居者が増え、商業施設には、また昔のような輝きを取り戻してほしいと願っています。