泉北ニュータウンが、少子高齢化の流れを受けて、昔の輝きを失いつつあります。
他方、舞台は大阪市内にうつり、大阪地下鉄千日前線。
言わずと知れた、ピンク色をイメージカラーとする地下鉄です。
千日前線は、野田阪神駅から南巽駅まで、大阪市内の大都会を走っていますが、どことなく哀愁を漂わせています。
何も関係なさそうに見える、この千日前線と泉北ニュータウン。
その昔、この2つがつながる予定があったということをご存知でしょうか?
千日前線の闇
千日前線は、大阪市内・大阪の繁華街を走っているにも関わらず、電車は4両編成になっています。
乗客が少ないので4両編成になっているのではないかと思われますが、どの駅もホームは大きいので、計画上は、多くの乗客を見込んでいたのでしょう。
例えば、日本橋駅を思い浮かべてください。
ホームの端のほうは、未使用部分になっており、電気は消えていて暗くなっています。
谷町九丁目駅はいかがでしょうか?
日本橋駅と同様、駅のホームの中で使われていない部分は、資材置き場になっており、電気は消されています。
もうひとつ、終着駅となっている野田阪神駅はいかがでしょう。
2番線ホームは未使用であることが分かります。
このように、千日前線は、現在、とても元気のない路線になっています。
さらに、ライバルである近鉄難波線が、阪神なんば線との直通を開始したため、千日前線はさらに苦しい立場となることが予想できます。
千日前線が泉北に進出していたら…
昭和38年頃の話です。
堺市の泉北ニュータウンに交通網を作る計画が考えられていました。
最有力の案は、御堂筋線を延伸する案でした。
しかし、他にも、
・国鉄阪和線を分岐させる案
・南海高野線を分岐させる案
・千日前線を延伸する案
などがあったようです。
結論として、御堂筋線でもなく、南海高野線でもなく、大阪府が自前で会社を立てて、自前で鉄道をつくることになるのですが…。
もし、千日前線が延伸していたら、今頃、泉北ニュータウンはどうなっていたのでしょう?
まず、泉北高速鉄道はありません。
千日前線が、松原付近を南下し、美原、北野田(狭山?)、泉ヶ丘、栂・美木多、光明池、和泉中央…
と、大阪南部を縦断することになっていたでしょう。
千日前線が泉北延伸となっていた場合、ここからは、完全に、私の仮定と想像の話となります。
・泉北高速鉄道の運賃が高いイメージが存在しなくなるので、泉北住民の満足度が高まっていた
・近鉄と重複路線となり元気を失っている千日前線が、独自色を出して、大阪南部の幹線となっていた
・大阪市内から、北野田・狭山へ行く人が増えるため、さやま遊園地が存続していた
・泉北ニュータウンから、鶴橋、なんば、野田阪神まで一本で行けるので、泉北住民の満足度が高まっていた
・御堂筋線のなかもず駅が存在しなくなるため、大阪府立大学のキャンパスが今とは別のところに移転していた
仮定の話なので、なんとも言えません。
しかし、もし、千日前線の延伸が実現していたとしたら…
現在、元気のない千日前線と泉北ニュータウンは、今以上の賑わいを見せていたのでしょうか…。