盛り上がる夏の伝統、甲子園!その発祥の地、豊中グラウンドとは?

今年の夏も殺人的な暑さですよね。

37度や38度の気温表示を見ても驚かなくなってきた自分の感覚が少しこわいです。

あなたも、冷房やこまめな水分補給など、熱中症には十分気をつけていただければと思います。

そんな中、現在、甲子園球場では、高校球児が夢を追いかけて頑張っています。

球数制限や日程の問題など、高校野球には賛否両論あります。

しかし、全力でぶつかり、一度負けたら終わりという仕組みは、見ていて本当に興奮しますよね。

私も甲子園が大好きです。

今年の夏は、一体どの高校が優勝旗を手にするのでしょうか?

今回は野球の内容ではなく、少し視点を変えて、球場の話をしていきたいと思います。

高校野球発祥の地とは?

本ブログでは、これまで大阪近郊で消えた球場として、次のような記事を書いてきました。

参考①:大都市なんばから姿を消した球場…その跡地でブログを書いています!

参考②:大阪から忽然と姿を消した中百舌鳥球場(中モズ球場)とは?

参考③:寝屋川市から姿を消した京阪グラウンドと豊野駅

どんどん、有名な球場は減ってきているんですね。

そして、今回も消えた球場の話をしていくことになります。

さて、現在は当たり前のように、高校野球の聖地となっている阪神甲子園球場。

しかし、第1回目の高校野球は、甲子園球場ではなく、別の球場で開催されていたことはご存知でしょうか?

豊中グラウンド

現在、行われている「夏の甲子園」。

全国高等学校野球選手権大会ですが、その前身は全国中等学校野球大会と呼ばれていました。

その記念すべき第1回大会は、甲子園球場ではなく、なんと大阪府豊中市で開催されていたのです。

ん?

大阪府豊中市にそんな有名な球場ってあったっけ?

普通はそう思いますよね。

では正解を言いましょう。

答は「豊中グラウンド」となります。

豊中グラウンドは、1910年(明治43年)に開通した箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)が、沿線の集客のために、1913年(大正2年)に建設した球場です。

赤レンガの外壁に囲まれたグラウンドは2万平方キロメートルにも及び、当時、日本一の設備を誇っていたそうです。

ちなみに、第1回大会の参加校は10校。

5日間の熱戦の末、京都府立第二中学(現在の鳥羽高校)が優勝しました。

まさに、豊中グラウンドは、高校野球発祥の地となったのです。

豊中グラウンドの跡地

当時、関西では、野球人気がすごく、豊中グラウンドにも、たくさんの観客が詰めかけました。

しかし、観客が多すぎたため、豊中グラウンドで収容することができなくなりました。

このため、1917年(大正6年)の第3回大会以降は、兵庫県の鳴尾球場に移されることになりました。

豊中グラウンドでの、高校野球の開催は、わずか2回だけに終わったのです。

その後、1924年(大正13年)の第10回大会からは、現在の阪神甲子園球場で開催されるようになりました。

豊中グラウンドは、1921年(大正11年)頃までは、高校野球の大阪大会の予選などに使われていたようです。

しかし、大正時代が終わる頃には、取り壊され、跡地は、住宅街に変わりました。

2019年となった現在、豊中グラウンドの跡地には、豊中グラウンドの外壁の一部と思われる赤レンガが残されています。

1988年(昭和63年)には、豊中グラウンドの正門の向かい側に「高校野球メモリアルパーク」を建設しました。

この「高校野球メモリアルパーク」が、2017年(平成29年)には、「高校野球発祥の地記念公園」として、リニューアルオープンしました。

この公園には「高校野球発祥の地」というモニュメントが建てられています。

高校野球ファンの方であれば、一度は訪問してみても面白いのではないでしょうか?