
大阪の中で、結婚式場・球場が減ってきていることは、いくつか記事にしてきました。
それに加えて、周辺地域も含め、遊園地も減ってきていると思いませんか?
・奈良ドリームランド
・宝塚ファミリーランド
・狭山遊園地
さらに、みさき公園も微妙な時期となってきています。
少子高齢化の時代の流れなのかもしれません。
寂しい限りです。
今回は同じ流れとして、昔、千里にも遊園地があったという話です。
果たして、どこに、どのような遊園地があったのでしょうか?
千里山遊園地の歴史
昔、箕面市に動物園があったという話は紹介しました。
参考:箕面市には、むかし、巨大動物園が存在していた!
しかし、なんと、千里にも、かつて遊園地があったと言われているのです。
その名前も、千里山遊園地。
かつて大阪府吹田市に存在していたようです。
開園は1920年頃。
香里遊園地(現:ひらかたパーク)ができるまでは、大阪で唯一の遊園地だったようです。
千里山遊園地は、46000㎡の広大な敷地をもっていました。
ボートを浮かべた池や、動物舎、飛行塔などがあったようです。
中でも、飛行塔は、大阪市内を一望することができたと言われており、人気アトラクションだったと言われています。
戦時中は、千里山厚生園と名前を変え、遊園地を閉鎖していましたが、戦後再開し、千里山遊園地となりました。
戦後、ひらかた遊園に代わって、菊人形展を開催していた時期もあったようですが、ひらかた遊園の復活とともに、菊人形展はひらかた遊園のものになりました。
その後、千里山遊園地は、入園者がどんどん減少。
1950年、ついに廃園となりました。
千里山遊園地の跡地
現在、千里山遊園地の跡地は、関西大学と関西大学第一中学校・高等学校となっています。
閉鎖後は、関西大学が跡地を買い受けたのです。
深い歴史のある千里山遊園ですが、ここにはもうひとつトリビアがあります。
現在の関大前駅は、駅名が変更された回数が日本一の駅なのです。
参考:日本で一番、駅名を変更した回数が多い駅が、大阪の中にあった!
この駅名変更の変遷の中に、千里山遊園地も含まれているのです。
紆余曲折はありますが、この地域は、地元の人たちからずっと愛され続けているのでしょう。
減りゆく遊園地
・奈良ドリームランド
・宝塚ファミリーランド
・狭山遊園地
みさき公園を含め、大阪周辺では、子供の遊べる場所がどんどん減ってきています。
もちろん、USJをはじめ、大阪ベイエリアでは、万博を控え、今後発展していくのかもしれませんが…。
昔からの大阪府民にとっては、なんとなく寂しく思えるのは時代の流れのせいでしょうか。