水の都、大阪から消えた幻の西横掘川とは?

水の都、大阪。

その中心部となる、なんばと心斎橋の間には、東から西へ道頓堀川が流れています。

大阪人であれば、道頓堀川を知らない人は、ほとんどいないですよね。

阪神優勝やW杯勝利などのイベントで、よく飛び込む人がいる川です。

この道頓堀川を、なんばから少し西へ移動して、なんばハッチ(旧湊町駅)付近に目を向けて見ます。

東から西に流れる道頓堀川、そして、北に伸びる阪神高速道路。

阪神高速道路の高架下、そこには、道頓堀川と交差して北から流れ込もうとしているような川の跡が…。

これは一体、何を意味しているのでしょうか?

阪神高速道路と東横掘川

土佐堀川から道頓堀川までの約3キロ、中央区の船場付近を南北に流れている川をご存知でしょうか。

この川は、東横堀川と呼ばれています。

名前はピンとこなくても、

「阪神高速道路の高架下付近を流れている小さな川」

だと言えば、思い出す人も多いのではないでしょうか。

昔はとても汚れていた川ですが、最近はだいぶマシになってきましたよね。

今後の大阪の街の美化活動に期待します。

さて、話を元に戻します。

阪神高速道路(環状線南行き)の高架下を東横掘川が流れているということが分かりました。

では、阪神高速道路(環状線北行き)の高架下には、西横掘川が流れているのでしょうか?

答は…

「昔は西長堀川が流れていたけど、現在はもう存在しない」

です。

では、西長堀川は一体、どこに消えてしまったのでしょうか?

幻の西横堀川

かつて、西横掘川は東横掘川と同様、土佐堀川と道頓堀川の間を約3キロ、南北に流れていました。

大阪市中央区と大阪市西区の境界線、つまり現在の阪神高速道路(環状線北行き)の高架下、西長堀駐車場付近を流れていたことになります。

冒頭、なんばハッチ(旧湊町駅)付近で、道頓堀川と交差してそうな川の跡があると書きましたが、まさにこれが、西長堀川の痕跡だったのです。

西長堀川は姿を消しましたが、もうひとつ姿を消した川があります。

長堀川です。

長堀川は、現在の長堀通を東西に流れていました。

この長堀川(長堀通)と、西横掘川が交差する地点が、「四ツ橋」となっていたのです。

「阪神高速道路と長堀通が交わる点が四ツ橋…」

ということを、

「西横掘川と長堀川が交わる点が四ツ橋…」

と読み替えることができれば、何かのネタになるかもしれませんね。

消えた西横掘川

西横掘川は、江戸時代にできた川で、大阪の街(船場)の発展に寄与しました。

しかし、阪神高速道路の環状線の建設が進められる中、昭和39年から昭和46年にかけて、西長堀川は埋め立てられることになりました。

私は直接、当時の西横掘川の様子を知っているわけではありませんが、昭和39年当時、西横掘川はドブ川のようになっていたようです。

三井住友銀行や大同生命など、オフィス街への変貌とともに、江戸時代の頃のような水路活用への用途は既になくなっていたということでしょうか。

現在、西横掘川の跡地には、川の痕跡はほとんどありませんが、ところどころに記念碑のようなものが建てられています。

水都大阪。

西横掘川のように、消えた川や消えた橋を偲ぶことで、新しい気づきがあるのかもしれませんね。