大阪の謎!昔、大阪に存在していた、超巨大な湖の正体とは?

大阪には、かつて巨大な湖が存在していました。

名前を「河内湖」といいます。

この河内湖は、一体どこにあり、今はどうなってしまったのでしょうか?

河内湖の歴史

今から、5000年以上前、現在の大阪には海が広がっていました。

今の東大阪市や八尾市あたりまで海が広がっていたのです。

これは「河内湾」と呼ばれていました。

やがて、気温が低くなり、海面は下がってきました。

すると、河内湾には、大阪湾の海水が入らなくなってきました。

そこで登場するのが、大阪を代表する2つの大きな河川です。

現在の淀川大和川が、それぞれ北側と南側から土砂を運んできたのです。

河内湾は、湾ではなくなり、完全に淡水化してしまいました。

このため、湖になってしまったのです。

これが河内湖です。

その後も、暴れ川である大和川は洪水を繰り返し、巨大だった河内湖はどんどん小さくなってきました。

そして、河内湖の干拓・開発はどんどん進み、湖は湿地へと変化していきました。

江戸時代になる頃には、すでに、河内湖は姿を消していたようです。

河内湖の場所

では、その河内湖は、現在、その名残を残していないのでしょうか?

調べてみましたら…

ありました!

大東市ある「深野池」と、門真市にある「弁天池」が、河内湖の名残だそうです。

深野池は、深北緑地内の中にあり、弁天池は、弁天池公園の中にあります。

最寄りの駅で言うと、片町線の四條畷駅、京阪電車の萱島駅あたりでしょうか。

寝屋川を挟んで、東が深野池、西が弁天池といった位置関係になっています。

深北緑地は、健康的な運動公園になっており、大昔、ここが湖の底だったとは、全く感じられません。

弁天池についても、周囲は美しい遊歩道で、とても綺麗な池になっています。

今では、姿を消した河内湖ですが、この弁天池の底あたりが、河内湖の湖底だったようです。

弁天池の美しい風景を見ていると、河内湖の風景も是非見てみたいものだと思いました。