消えたダイエーの悲劇…時代の変化に柔軟に対応することの重要性!

小学校低学年の娘に、次のような問いを投げかけてみました。

「ダイエーって言葉、聞いたことある?」

返ってきた言葉は…

「聞いたことないよ。知らないよ。」

予想通りの回答でした。

令和時代において、ダイエーの認識とはそのようなものなのでしょう。

今回は、一時代を築いた、このダイエーについて、簡単に振り返ってみたいと思います。

総合スーパー「ダイエー」の繁栄

ダイエーは、昭和末期に一時代を築き上げた大手総合スーパーマーケットです。

1980年には年間売上高1兆円を突破し、オレンジ色の看板はスーパーの代名詞となっていました。

当時のダイエーを率いていたのは、創業者兼経営者であった中内功氏。

中内功氏は、昭和のカリスマとも言われ、ワンマン経営者でも有名でした。

経営スローガンは

「よい品をどんどん安く!」

”主婦の店ダイエー”

のキャッチフレーズは、誰もが当たり前のように知っていました。

当時、私は子供でしたが、買い物といえば、当たり前のようにダイエーに行くことを意味していました。

中内功氏は、スーパーマーケット事業だけでなく、ホテル、大学、プロ野球など、多角化経営も押し進めました。

プロ野球ファンでなくとも、福岡ダイエーホークスの名前だけは聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

「流通王」「経団連の支配者」

とも呼ばれた中内功氏は、日本財界でも活躍しました。

王者ダイエーの衰退

栄華を極めていた中内功氏を襲ったのは、バブルの崩壊でした。

1990年代の半ば頃から、ダイエーの業績は急激に悪化していったのです。

バブルの崩壊と言ってしまえば一言ですが、業績悪化の原因は他にもあったと言われています。

①不慣れな多角化事業に手を広げすぎたこと
②自分の子供を後継者にすることに固執しすぎたこと
③多様な消費者ニーズ(安さだけではない)を捉えきれなかったこと
④業績の悪い店舗を閉鎖させたり、駅前立地を諦めるなど、柔軟な対応がとれなかったこと
⑤貧しい時代から豊かな時代への変化には対応できたが、豊かになった時代で目標を見失ったこと

他にも、顧客視点や従業員視点では、いろいろ問題があったのでしょう。

時代そのものが逆風だったのかもしれません。

肥大化した組織の末路は寂しいものでした。

中内功氏は2005年に他界し、その後も業績悪化を続けたダイエーは、2015年、ついにイオンの完全子会社となりました。

今では、買い物と言えば、イオン・イオン・イオン…。

どこへ行ってもイオンばかりで、ダイエーという言葉は出てきません。

時代の流れを感じました。

経営コンサルタントとしての思い

実は、昭和の頃、私の父は、ダイエーで勤務していました。

父が、某駅前の大きなダイエーで店長をしていた頃、母が親戚などに得意げに話をしていたことは今でも記憶に残っています。

それほど、ダイエーは一大ブランドでもありました。(現在、父はダイエーを退職し、中国地方の田舎でお米を作っています。)

当時は子供だった私ですが、現在は、フリーランスとして大企業向けの経営・ITコンサルタントをしています。

自分でも小さな法人を経営しています。

このため、上記のような大企業の衰退の経緯は、今では、手に取るように分かるようになりました。

経営戦略やマーケティング、後継者の問題などは、よくある改革テーマです。

肥大化しすぎた組織の問題もよくある話です。

あの頃、ダイエーに対して、経営・ITコンサルティングができる立場にいたら…

私には、一体どういう提案ができたのか…。

いろいろと考えさせられます。

そして、令和となった現在…

時代は、コロナ禍の真っ只中にあります。

自粛頻度も増え、Amazonグーグルなど、ITやオンライン企業の強さが目立っています。

もし、令和の時代に、中内功氏が生きていて、巨大組織ダイエーが存続していたとしたら…

安売り・売上・対面販売を重視していたダイエーの中内功氏は、ネット販売大手のAmazonにどのように対抗するつもりだったのでしょうか…。

逆に、Amazonグーグルも、近い将来、時代の流れに追いつけなくなるのでしょうか…。

そして、その時、勝ち組となる法人・事業とは一体…?