日本最古のため池が、大阪狭山市にある
「狭山池」
であることは、結構知られているのではないかと思います。
以前は、池の周りに遊園地もありましたよね。
私もよく行きました。
しかし、遥か昔、古事記や日本書記の書かれた時代、その狭山池よりも古いため池が大阪に存在していたことは、ほとんど知られていません。
今回は、この日本最古のため池の正体に迫ります。
依網池とは?
依網池(よさみいけ)。
これが、古事記と日本書紀に記述されている日本最古のため池です。
残念ながら、現在、その姿を拝むことはできません。
(このため、依網池は、「記述のある日本最古のため池」だと言われています。)
依網池は、3世紀頃、崇神天皇の時代に、灌漑目的で大阪のある場所に作られました。
写真もないので、実際にその時代に依網池が存在していたという証拠はありません。
しかし、日本書紀の記述を正だとすると、依網池こそが、日本最古のため池であると言ってもよいのではないかと思います。
依網池は、現在の狭山池よりもずっと広いものでしたが、水深はかなり浅かったと言われています。
水不足に悩んでいた付近の農家にとっては、依網池は、なくてはならない重要な水源でした。
しかし、江戸時代(1704年)、大和川ができたことにより、依網池に水が流れてこなくなりました。
これにより、依網池は少しずつ縮小していき、最終的に、姿を消すことになってしまうのです。
依網池の跡地
姿を消した依網池。
では、一体どこに存在していたのでしょうか?
そして、依網池の跡地は、現在、どうなっているのでしょうか?
大和川に水を奪われたことから、依網池が大和川の近くに存在していたことは容易に推測できます。
探してみました。
地下鉄御堂筋線の陸上を走るあびこ筋。
このあびこ筋と大和川が交差する場所から、東に数百mの地点に、阪南高校があります。
この阪南高校と大和川の間に「庭井2号公園」という小さな公園があります。
小さな砂場もある、この敷地の片隅に「依網池跡」という石碑が建っているのです。
ここが依網池のあった場所であり、おそらく、阪南高校の運動場あたりが、かつての依網池だったのでしょう。
依網池は大和川の出現により、少しずつ面積を減らしていってのは前述の通りです。
しかし、末期には、味右衛門池(みえもんいけ)、庭井の池と名前を変えて、ほそぼそと存在していたようです。
最終的に、昭和40年代に、庭井の池がなくなったことで、依網池は完全に消滅したことになりました。
以前、紹介した河内湖といい、今回の依網池といい、昔の大阪は、巨大な湖や池で占められていたようです。
参考:大阪の謎!昔、大阪に存在していた、超巨大な湖の正体とは?
時代とともに、灌漑対策も変化し、現在の形となったのです。
池や川だけをとって見ても、歴史というのは面白いものです。