地下鉄なんば駅の地上すぐの場所。
多くの人で賑わう地上に、ビッグカメラなんば店があるのをご存知でしょうか。
いつも繁盛しているので、大阪に住んでいる人であれば、当たり前のように知っていることだと思います。
しかし、ビッグカメラなんば店のあった場所は、実は悲しい歴史をもつ場所なんです。
若い人であれば、知っている人は少ないと思いますので、今回は少し振り返ってみたいと思います。
プランタンなんば時代
ビッグカメラが関西進出1号となる、現在のビッグカメラなんば店を開業させたのは、2001年5月のことでした。
それまでは、「プランタンなんば」というダイエー系列の大規模商業施設がありました。
「プランタンなんば」は、1984年1月に開業しました。
しかし、巨大企業ダイエーの衰退とともに、売上高は徐々に落ち込み、2000年には最盛期の半分以下にまで落ち込みました。
そこで、「プランタンなんば」は「カテプリなんば」に名前を変えて営業を継続していました。
しかし、2001年には営業赤字が見込まれたため、2000年12月に「プランタンなんば(カテプリなんば)」は完全閉店したのでした。
私も「プランタンなんば」には、よく行ったものです。
薄暗い専門店街の中、面白いおじさんが、トランプで手品を披露していたのを思い出します。
まだ子供だった私はその手品に感動し、手品用のトランプをいくつか購入した記憶があります。
思い出深いデパートがなくなるのは、なんとなく悲しいことです。
しかし、この「プランタンなんば」があった土地には、さらに悲しい歴史があったのです。
千日デパート時代
「プランタンなんば」が1984年に出来上がる前、そこには何があったのでしょうか。
答は「千日デパート」です。
これはかなり有名な出来事になりますが「千日デパート」は1972年に火災が発生し、最悪の大惨事となっていたのです。
「千日デパート」は1958年に開業しました。
その後10数年は、地元で繁盛していたのですが、1972年に死者118名、負傷者81名という大火災が発生し、その営業は幕を閉じたのです。
火災は「千日デパートビル火災」と呼ばれています。
その9年後の1981年に、ダイエーがプランタンとともに出店を表明し、「千日デパート」の跡地に「プランタンなんば」ができたのでした。
千日デパートビル火災の詳細は、検索すればいくらでもでてきます。
しかし、その内容があまりにも恐怖な出来事であったため、その後にできた「プランタンなんば」や「ビッグカメラなんば店」には、心霊スポットがあるとか、都市伝説的な話も語り継がれているようです。
まとめ
以上、まとめますと…
「千日デパート」→(火災)→「プランタンなんば」→(閉店)→「ビッグカメラなんば店」
今は、何事もなかったかのように、大勢のお客さんでにぎわう「ビッグカメラなんば店」。
しかし、歴史を紐解いていくと、複雑な事情の上にそびえ立っている、大都会の記念碑なのかもしれません。