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日米のプロ野球界に、数々の金字塔を打ち立てた日本最高の安打製造機ことイチロー。

そのイチロー選手が、昨日、現役を引退することになりました。

日米通算4367安打は、誰も批評できない、前人未到の記録です。

日本9年、米国19年の合計28年間、本当にお疲れ様でした。

イチローの偉大さはここで言うまでもありませんので、私は、イチローにちなんで、一人の選手との思い出を振り返ってみたいと思います。

私の小学校時代の思い出

私は大阪府堺市の出身です。

イチローと同い年でもあります。

今から約40年前、私は泉北ニュータウンのとある小学校の1年5組に入学しました。

当時、ドッジボールが流行っていて、クラス対抗ドッジボール大会という校内イベントがありました。

クラス全員がドッジボールに参加して、制限時間内で残った人数の多いクラスが勝ち残りとなるのです。

私の属している5組は結構強く、1回戦では、隣の4組に勝利しました。

5組は4組に勝つには勝ったのですが、4組の一人の少年が、私の記憶から消えませんでした。

その少年の名前はK君。

5組の攻撃に、4組の生徒達はほぼ全滅だったんですが、K君だけは絶対に倒せなかったのです。

K君の体はとても大きく、投げる球も、超小学生級の豪速球だったのです。

5組は、彼の剛球だけに苦戦しました。

彼の投げた球に当たると、これまた痛いのです。

「すごいやつがいるもんだなぁ」

と私はとても驚いていたのを今でも覚えています。

そして、K君は、まもなく、どこかに転校していきました…。

ドラフト会議

私が大学生の頃、阪神大震災が関西の街を襲いました。

当時、オリックスの一員だったイチロー選手は「がんばろう神戸」の象徴として、地域復興に貢献していました。

その頃、小学校時代からの私の友人が、私にこう教えてくれました。

「1年4組にいたK君、イチローと同じドラフト入団でオリックスに入団したらしいで。」

「えっ?」

私は驚きました。

ドッジボールで、あの剛球を投げていたK君がプロ野球選手になっていたのです。

「プロ野球選手になるようなやつは、幼少の頃から、やっぱりちがうなぁ。」

と再認識しました。

しかし、K君は、プロ野球で活躍することなく、5年ほどで引退します。

イチローと同期入団という話題だけを残して…。

イチローの凄さ

あのすごかったK君が5年で幕を閉じた現役人生。

それを、イチロー選手は28年間、結果を出し続けたのです。

しかも、多大なプレッシャーの中、前人未到の記録の数々を打ち立てて。

月並みな表現ですが、これはすごいとしか言えません。

まさにレジェンド中のレジェンドです。

イチロー選手、そして、私の記憶の中に残っているK君。

平成の時代の終わりと共に、それぞれの雄姿を見ることはもうできなくなりました。

なんとなく時代の移り変わりを感じて、少し寂しい気持ちです。

次の時代は、どんなドラマ、どんなスーパースターが誕生するのでしょうか?

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