大阪にも限界集落?陸の孤島、茨木台ニュータウンの現状とは?

「茨木台ニュータウン」

関西に住んでいる人も、そうでない人も、聞いたことがある人は、ほとんどいないのではないでしょうか。

「いばらきだいニュータウン」と呼びます。

関西の地名は難しいですよね。

参考:【保存版】大阪の難読地名100選!

北摂のマチュピチュとも呼ばれている茨木台ニュータウンですが、関西地区に存在する他の有名なニュータウンとは、かなり異質の地域となっています。

今回は、この茨木台ニュータウンを簡単に紹介していきたいと思います。

関西地区で有名なニュータウン

関西の代表的なニュータウンといえば…

大阪北部の千里ニュータウンと大阪南部の泉北ニュータウンを挙げることができます。

どちらも1970年代に開発されました。

いずれのニュータウンも、高度経済成長やバブル経済を経て、大きく発展し続けてきました。

最近は、高齢化や人口減少に悩まされているようですが、梅田やなんばへの交通の便もよく、生活環境も整っており、ニュータウンとしては、十分な機能を備えています。

最近の動きで言えば、

・箕面市にある箕面森町
・箕面市と茨木市を股にかける彩都

などが、自然に包まれたニュータウンとして開発されてきています。

ただし、これらのニュータウンは、自然との融合を売りにしており、交通の便という意味では、それほど優れているとは言えません。

どちらも、北摂の代表ターミナルである千里中央までバスや電車で30分近くかかります。

生活していくためには、車が必須となってくるものと思われます。

しかし、その箕面森町や彩都が大都会に見えるほどの、ニュータウンが、大阪と京都の境に存在していたのです。

それが「茨木台ニュータウン」になります。

茨木台ニュータウンとは?

茨木台ニュータウンは、「茨木」という名前から、大阪の中にあるように思います。

しかし、正確には、大阪府茨木市と京都府亀岡市の府境付近、亀岡市側の山の斜面に存在しています。

千里ニュータウンや泉北ニュータウンと同様、茨木台ニュータウンは、1980年代のバブルを経て、ニュータウンとしての輝かしい歴史を刻む…

はずでした。

しかし…

現在は、とんでもない陸の孤島になっています。

茨木台ニュータウンは、標高500メートルの山奥に存在しています。

このため、公共交通機関を使って茨木台ニュータウンに行こうとした場合、JR茨木駅からバスで銭原停留所まで行き、そこから、徒歩で1.5キロメートルほど歩く必要があるのです。

片道1時間半はかかるでしょう。

このため、自動車は必須アイテムになってきます。

しかし、軽自動車などの小型の車でないと、茨木台ニュータウンにはたどり着けません。

茨木台ニュータウン自体に公道がない(すべて茨木台自治体が所有している私道)ため、大型車は通れないようになっているのです。

軽自動車を所有してたとしても、最寄りの駅である京都府の亀岡駅や大阪府の茨木駅に行くのに、1時間はかかります。

ニュータウン内には、小学校・中学校、病院、コンビニもありません。

水道施設(井戸、水道管など)も自治会が所有しているため、維持管理の費用は住民が受け持っています。

このため、水道を使うときも、負担金がかかってきて、かなりのお金がかかります。

このため、空き家の数もかなり多いのではないかと思われます。

茨木台ニュータウンの歴史

なぜ、茨木台ニュータウンは、このような悲惨な状況になってしまっているのでしょうか?

歴史は、1990年代に遡ります。

バブル崩壊したときに、茨木台の開発業者が倒産したのです。

このため、道路が銀行や大阪市に差し押さえられてしまいました。

それを住民自治体が買い取った形になっているので、道路や水道がすべて、自治体管理の状況になっているのです。

飲料用の井戸も掘削していることから、もともと水道施設も整備されていなかったものと思われます。

アクセスが悪く、病院、学校、商店が何もない状況を考えると、府からも見放されてしまったような悲しい地域であることが、容易に想像できます。

このように、茨木台ニュータウンも悲しい地域ですが、近隣にある「北摂ローズタウン」「北摂バードタウン」といったニュータウンも似たような状況になっています。

いずれも山間部の斜面に、住宅が建てられていますので、土砂崩れなどの災害のときも心配です。

今後、これらのニュータウンが、暮らしやすい地域となることを願っています。